人生でもう一度食べたいものの話

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仕事が忙しなくなってきたり、調子良く集中できたりすると、特にひとり暮らしで在宅勤務をしている時分では食事のことをきれいに忘れてしまう傾向にある。人と一緒に飲んだり食べたりするのは大好きだから、ひとりでいる時の食事に対する関心が薄いんだろうな、と思う。

新しい感染症が流行する昨今、仕事が終わったから飲みに行こう、がなかなか気軽に言いづらいご時世になって、人と一緒に飲食することがなんとなく難しくなってできた穴を埋めるように、かつて飲食した写真を見返すようなことが増えた気がする。(Twitterで昔誰かに教えてもらって以来、この行為のことを "思い出しおいしい" 、と個人的に呼んでいる。)

その時に思っていたこと、今改めて見て思うことを文章に残しておけば、"思い出しおいしい" が捗るような気がするので、そういう話をする。


赤坂の鳥鍋

2018年8月10日、確か金曜日だった。

その頃の私はなんというか、漫然というか、投げやりというか、とにかくあまりいい感情を持って生活していなかったように記憶している。終電の二本前で帰宅して五時過ぎに起床していた、みたいな事以外ほとんど何も覚えていないけれど。

社会人三年目から心血注いだ二年がかりの大仕事が前の月に終わって、完全にバーンアウト状態に陥っていたというのもあるし、居心地よく感じていたプロジェクトチームから異動になって心の居処を見つけられていなかったというのもあるかもしれない。休みなく働いた日々が終わった安息も束の間で、異動先のプロジェクトチームで激務の日々が始まった、という疲労感や、はたまた夏バテなんかもあったかもしれない。

とにかく疲れていて、とにかく全部嫌になって、溜まりに溜まっていた有給休暇のうちの一日をもぎ取り、新大阪からのぞみに飛び乗って品川に向かったのだ。おいしいものを食べたり、きれいなものを見たり、好きな人たちにあったり、とにかく心の栄養になることを全部やろうと決めていた。

ついでに、と頼まれた親類との約束を済ませて、ホテルで持ち帰りの仕事をちょっとだけこなして、真夏だったけれども赤坂に鍋を食べに行った。鍋を囲んだのはかつて同じチームで仕事したことのある同僚たちで、大きな仕事の一番過酷だった時期を一緒に乗り越えたことと、お酒好きな人たちだったことで、年はずいぶん離れていたけれども気が合ってよく可愛がってもらっていた。店を決めてくれたのはその中でもとりわけ親しかった人で、古き良き日本家屋を改装した佇まいに背筋が伸びるような思いだった。大阪時代に同僚たちと飲みに行っていたのは職場側の、あんまり綺麗じゃない安居酒屋ばかりだったから。

鍋は味噌ベースか鳥炊きかが選べて、勧められるがままに味噌ベースのお鍋にした。

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なんで出来上がってからの写真を撮ってないんだろう……。

鶏肉がいて、にらがどさっと盛ってあって、お味噌をあとでといて煮込む、みたいなそんな感じだった。多分あんずが入っていた。あんずだっけ、金柑だっけ、どっちか忘れちゃった。あんずだったような気がする。あんずつながりで崎陽軒のシウマイ弁当の話をしたことを覚えているから。

酒席で多少の文句はいいつつも仕事に一切の妥協がないところだったり、どれだけ遅くまで飲んでいても次の日必ず朝から仕事するところだったり、きつい仕事を率先して請け負うところだったり。今の仕事の話を日本酒の肴にしながら、目の前にいる人たちの好きなところを考えたりした。言葉にすると安っぽいけれども、社会人生活の中ではじめて尊敬できた先輩たちだった。

店を出た後、なんとなく名残惜しくて、名残惜しいと思っていたのはおそらく私だけじゃなくて、だからそのまま流れるように近くにあったハイボールバーに足を踏み入れた。てっきりみんな終電で帰っちゃうかな、と思ったらその気配もなくひたすらハイボールを煽り続け、気がついたら朝の五時ごろまでずっと飲んでいた。赤坂見附から新宿方面への始発電車が動くまで、と、ガラガラのマクドナルドに入ってコーヒーを頼んで、六時ごろまでだらだらと過ごした。いい年した大人が揃いも揃って大学生のような飲み方をしていて、なんだかとてもおかしかった。

さあそろそろ、とマクドナルドを出て駅に向かって歩き出した時、ふと顔を上げた先にある日枝神社が目について、なぜかそのまま神社に参拝して帰った。異動先のプロジェクトでの案件が炎上しませんように、なんて神頼みをしたが、その年の後半は仕事に忙殺されて何も覚えていない。

そこから数ヶ月後、私は東京転勤を果たす、はずだったけれども、色々あって転職して、結局東京で働いている。一緒に飲んだ人の中にも会社を辞める選択をした人もいれば、遠方に転勤になった人もいる。二年前の今日、鍋を囲んだ人たちは会社もチームも散り散りになってしまって、多分もう会うこともないけれども、これから先も、仕事がつらかったり、負荷が高まって厳しいお気持ちになってしまう時に一番最初に思い出すのはこの人たちの顔なんだろうなと思う。