#FFFFFF | 大切にしている言葉の話

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決めたお題に沿ってブログを書いてみよう、という試みシリーズ。

今回は、大切にしている言葉の話 について書こうかなと思います。

大切にしている言葉の話

このお題、茉莉子さんにおねだりをして指定していただいた次第なんですが、誰かから言われなければ自分では多分選ばなかったお題だろうな、と実は思っています。小説の一文、四字熟語……と考えてみたんですが、正直どれもピンとくるものがなくて。座右の銘も特にないし。

"大切にしている" というと、自分の人生の指針だったり、大きく関与しているものなのかな、と感じて、そこから色々と思いを巡らせた結果、新約聖書のとある一節に辿り着きました。

 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門を叩く者には開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求めるものに良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」

マタイによる福音書 7:7-12 (新共同訳)

求めよさらば与えられん」というような言い回しで、冒頭部分はさまざまな場面で引用されるフレーズですが、もともとは新約聖書にある一節。マタイによる福音書、というパートにはこの一節以外にも著名なセンテンスが多く収録されています。「狭き門から入れ」とか、「汝の敵を愛せよ」とか。

信心ぶかいわけでは全くなくて、通った学校がたまたまミッションスクールで、たまたま聖書の授業があったり、毎朝必ず礼拝があったりした延長で、そういう縁があって、卒業してずいぶんと経つ今でもたまに手に取ります。学生の時はテストや単位のために暗記すると言う側面が強かった聖書ですけど、大人になってからは読み物としてそれなりに面白い部分もあるもんだな、と一冊の本のように接しているところがあります。旧約聖書はSF小説か大河小説か、みたいな心持ちで接すると結構面白いです。

著名な表現が含まれるこの一節、学生時代にも当然数多く接してきました。当時は聖書の一節を引用した作文を書いて、クラス礼拝の最中に発表する、と言うものがあったんですが、そう言う時には大体著名な一節が用いられるもので、この一節も例に漏れずかなりの頻度で用いられていたように思います。

求めれば与えられる」、ここだけ切り取るとなんとなく、なんでも願えば叶うみたいな、他力本願的なニュアンスが含まれてくるような気がするんですが、そこに続くのは「探せば見つかる、門を叩けば開かれる」と、自己の努力や積極性を必要とするフレーズなんですよね。むしろこれは、積極的に努力を続け、自分が心から求めることを見定めて突き進めばいずれ返ってくる、というような意味合いだな、と感じています。

また、求めるというのは自己中心的であってはならないと言うのが、「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」という部分。自分が享受したいと思うものをまずは他人に向けて施すことが重要だとあり、しかもそれは、人にされて嫌なことはしない、ではなくて、自分がされて嬉しいことは人にもやっていこう、という積極的なもの。相手から信用されたければまずは自分が信じてみる、人から愛されたければまずは自分が心を開いて人を愛してみる、こういう心持ちでいることが大切だよ、ということが説かれている部分です。

7章7節から12節を雑にまとめるなら、自分がされて嬉しいこと、やってほしいなと思うことはまず相手にやっていきましょう、そうやって努力を重ねるものには必ず返ってきますよ、とそんな感じでしょうか。専門家ではない個人の見解ですが、今のわたしが読むとこんな風に聞こえます。神様の存在の有無はさておいて、この考え方は今のわたしを作る上でかなり大きなウェイトを占めているものだなぁと思います。とはいえこれは言うは易し行うは難しで、全然体現できていないなと反省するばかりです。

個人的に、人にしてもらいたいと思うことは何でも というのは字義通りに受け取ってはいけないメッセージだなとも思っています。わたしに好みがあるように、相手にとっても好みはあるもので、必ずしもわたしがされて嬉しいことが相手にとってもそうであるとは限らない。

だから、自分がそうして欲しいと願うように、相手が何を望んでいるのか、相手の言葉に耳を傾ける、想像する、相手のことをよく知っていく、みたいなことが必要なんだろうなと。仕事の本質もきっとそうだし、利害関係を抜きにした人間関係であればなおのことそうだと思います。向き合えば向き合うほど難しいことだし、うまくいかなくて苦しい思いをすることも多々ありますが、そういう人間でありたいとは常々思っています。そのために目を開き、耳を澄まし、口を開いてなるべく人に寄り添える人間でありたいなとも思いますし、そういうヒューマンスキルは絶えず磨いていたいと思う日々です。

そういうわけで、わたしが大切にしている言葉の話、でした。


おまけの話

先日、茉莉子さんからあるプレゼントをいただいてしまいました。

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ukaのネイルオイル、初めてだったのですが、とにかくすっきりとしたいい香りで癒されます。

その頃のわたしといえば、色々あってがっかりしょんぼりしてしまっている時だったのですが、ご連絡をいただいた時には本当にびっくりしつつも同時に本当にあたたかい気持ちになれました。贈っていただいた時にも、やっぱり 人にしてもらいたいと思うことは何でも 、の一節が頭をよぎった気がします。本当にありがとうございます。

そんな茉莉子さんの大切にしている言葉のお話。

hikidashi-3.hatenablog.com

(追記:2021/6にてブログ閉じられました。お疲れ様でした。)

ごちゃごちゃした考え事は一晩寝かせてみる、という言葉は思慮深い茉莉子さんにとてもぴったりというか、茉莉子さんっぽいな、とすごく思いました。わたしは感覚で動いてしまうことが多くて、そう言うわけで言葉の選びもつい感覚的になりがちなので、一言一言を考えて選ばれているように見える茉莉子さんのことは、勝手に尊敬すべきお姉さんのような気持ちでいます。